教育者は、学習者が持つ現在の経験を利用し、そこから事実や法則を抽出させながら、科学的な理法を経験させるように徐々に導く責務がある。例えば物品とサービスの生産と分配の過程に対する科学の適用や人間が社会的に相互に支え合って生存する関係に対する科学の適用が求められる。

経験と教育 (講談社学術文庫)

経験と教育 (講談社学術文庫)

●教材が学習者の現在の経験の中で、科学的なものになるようにと見出され利用されることで、より適切に組織された環境的世界へと導いていく。そしてその大元には、知識を進歩主義的に組織化するという理念があり、知識の組織化を軽視することはダメである。しかし、知的組織化はそれ自体が目的ではなく、それによって社会関係、独特な人間的なつながりや結合力が理解され、一段と知的に秩序づけられる手段である。

●知識の科学的組織化の基本原理の1つは原因―結果の関係である。ただ、経験の中でその因果関係を学習者に把握させようとして、状況を利用することに失敗することがあまりにも当たり前になっている。こうした手段に対する結果の関係を認識する見地、つまり活動の組織化の原理は、極めて幼い者に適用されて良い。そして成熟度がますにつれ手段相互の関係の問題は、いっそう切実なものになる。

●学校における作業室や台所の正当性は、生徒たちを目的と手段の関係に参加させ、やがて事物が相互に作用しあって、結果を生み出す方法を考察するように導く(活動機会を提供)。こうした経験の知的な組織化に成功できない時、外部からの押しつけという反動が必ず生じる。つまり識別、思考、推論などが、雑多な知識の累積で押しつぶされる。こうした知的組織化に不断に注意を払うことに失敗すると、伝統的教育への反動を導く。

●ところで科学における実験的方法では、実験に用いられる理念が仮説であって究極の真理ではないとされる。そして理念や仮説は、それらが実施されたときに生じる結果によって検証される。行為の結果は注意深く観察される必要がある。そして実験的方法の中に表示される知性の方法は、理念、活動、観察された結果の軌道を保持することを求める。

●つまりこれは反省的再調査や総括の問題であり、経験における識別と記憶の両方が存在する。つまり反省することは、実施されたことを回顧することであり、更なる経験を取り扱う知性にとっての資本が蓄積される。この反省こそ経験の知的組織化の精髄、訓練された精神の真髄なのだ。

●経験が教育的なものであるためには、その(教育的)経験は教材、つまり事実や知識や理念についての教材の世界を拡大していくよう先頭に立って導く必要がある。そしてこういった条件は教育者が「教えることと学ぶことは経験の再構成の連続的過程である」とみなすことによってのみ満たされる。つまり教育者がこれから先に長い見通しをもち、現在の経験すべてを将来の経験に有力な影響を及ぼす動力であるとみなすことで満たされる。

●ただ、科学的方法は専門的技術ではない。生活世界での日常経験の意味を突き止める唯一確かな手段である。こうした科学的な方法とは1、理念の形式2、理念に基づく行動3、結果をもたらす条件の観察4、将来に使用される事実と理念の組織化である。教育的であるとは、経験のあらゆるレベルにおいて、経験の拡大的な発展がみられることだ。