伝統的教育は、教えられる生徒の経験の範囲外にある事実と真理から出発するという教育の進め方であり、その事実と真理を経験の中に取り込む方法と手段を見つけ出す教育であった。一方新教育は際立って対照的である。それはまず経験の内部に学習のための教材を見つけ出すことであり、次に経験されたものをより豊かに一段と組織化された形態へと進展させることである。

経験と教育 (講談社学術文庫)

経験と教育 (講談社学術文庫)

●新教育では2つの教育的条件がある。まず教授することは、学習者がすでに具備している経験からはじまるということである。つまり、新しい経験が生徒たちに与えられたら、その原理は適切に充足されると想定するのは誤りで、新しい事物と出来事がそれ以前の初期に経験した事物や出来事に知的に関連させられることは本質的な事である。それは事実と観念との意識的な連接においてある種の進歩が見られたことを意味する。

●このように現在経験している範囲内で、観察と判断についての新しい方法を刺激し支援することが教育者の職務である。つまり現有している観察能力と記憶の知的利用能力を、新たに要求される新しい領域を拓くような手段や道具として絶えず注意を払わねばならない。このように教育者は他のどのような職業人よりも遠い将来を見定めることに関わっている。

●伝統的学校の教科は、成人の判断で選択され整理される。そして教材は学習者の現在の生活経験の外部で設定される。教材は過去のものを取り扱う。新教育では上記への反発があり、学習者は現在と将来の問題を処理する能力を育成するのだと論じられるが、これは
過去を無視できるというゆがめられた極論である。

●自分たちの過去における根源を探究しないようでは、社会生活上の諸問題を処理する最善の方法を理解できない。学習の目的は将来にあって、そのための直接の教材は現在の経験にあるという健全な原理は、現在の経験が、いわば後方にさかのぼり伸びている程度に応じてのみ、有効に働く事ができる。つまり現在を理解する手段として生徒を過去に親しませる必要がある。

進歩主義的教育の最大の弱点は知的教材の選択と組織化に関係していて、この運動の根本的問題である。教材について教育者は2つの事柄を同じように調べ確かめる必要がある。まずそれは生徒の能力の範囲内にあるか、そして学習者の内面で新しい考え方が形成され産出されるために、積極的な探求を生じさせるかである。こうして獲得された新しい事実や考え方はやがて新しい問題が提示されてくる更なる経験の基礎になる。