プラトンは、「奴隷」を他人の目的を実行させられている人と定義した。自分自身の盲目的な欲望のとりこになることもまた、奴隷になることである。伝統的教育では、学業における目標形成過程に生徒が積極的に協力できない。進歩主義的学校においても学習者の活動を導くような目的を形成する際に、学習者が参加することの重要性が強調されて良い。

経験と教育 (講談社学術文庫)

経験と教育 (講談社学術文庫)

●目的とは何か、目的はどのように生じたのか、目的は経験の中でどのように機能するのかの理解が重要になる。目的は当初衝動から生まれるが、即時的実行が邪魔されると欲望になる。しかしこれ自体では教育上の目的にならない。目的とは終局への見通しであり、衝動にはたらきかけることから生じる結果を見通すことが含意されている。

●目的の形成には複雑な知的作用が必要となる。具体的には周囲の状況の観察、過去の似たような状況で起こったことについての知識、(回想によって得られた知識、広い知識をもった人からの情報・忠告・警告)、得られた知識が何を意味するのかを理解するため、観察されたものと回想されたものとを結合する判断力である。

●目的が衝動・欲望と違う点は、最初の欲望が一定の確かな方法で観察された条件のもとで行動に移されることで、行動の結果を見通しての計画や方法に転換されることだ。こうして切実な教育問題とは、欲望に即応するような行動はとらず、その前に観察と判断が入り込むまで、初期の欲望を延期するだけの能力を身につけさせるという問題となる。

●欲望はそうでないと盲目的なものへと方向付けられる一方、アイディアを刺激し、それに推進力を与える。そして欲望はそれが実現されるであろう「手段」に転換される必要がある。教師の仕事は、衝動や欲望が生じるや、それを好機に利用する点を見定めることである。

●自由は目的が発展する際に、知的な観察と判断とが働いているところに存在するので、生徒が知性を実地にはたらかせることができるよう、教師は指導で自由を助長する。この時生徒への示唆が与えられることが必要だ。経験と広範な視野を持つ人からの示唆は、有効である。ただ教師の職権を利用して、教師の目的に強制して追い込むことは可能だ。

●このような危険を避けることが重要となる。まず教師は自分が教えている生徒の能力、要求、過去の経験について知的に気づいている必要がある。第2に集団の成員である生徒が役割を分担し、全体への貢献がなされ組織だてられていくような示唆によって、その示唆を教育計画や企画までに発展させようとすることが重要となる。

●教育というのは協同事業であって、指図ではない。教師による示唆は鋳物になるようにするための鋳型ではなく、学習過程にひたすら従事してきたすべての経験からの貢献を通じて、計画にまで展開されるべき出発点となる。展開は互恵的なギブアンドテイクを通じて生起するものだ。教師は受け取りもするし、与えもすることにためらってはならない。