社会的統制の他の側面として「自由の本性」の問題がある。永遠に重要な唯一の自由、すなわち知性の自由とは、価値のある目的のために観察や判断がなされる自由であり、自由を「自由を運動する自由」「外的な身体的な活動の自由」を同一視することは誤解を生む。

経験と教育 (講談社学術文庫)

経験と教育 (講談社学術文庫)

●この種の自由は(制限から解放される自由)、力(目的を形成する力、賢明に判断する力、願望を実践したことからの結果によって願望を評価する力、選定された目的を実施する手段を選択し秩序あるものにする力)への手段としてのみ価値がある。

●願望や衝動(自然なもの)は、最初に示された形態を何らかの形で再構成しないと知的成長はない。これは最初の衝動を抑制することを意味する。つまり外的に押し付けられた抑制ではなく、個人自身の反省と判断による抑制である。これは思考することであり、一段と総合的で一貫した活動計画が形成されるまで、最初の衝動を即時的に表明することを停止させる。思考することは観察と記憶の結合を通じて衝動の内的抑制に効果を挙げる。

●教育の理想的な目的は、自制力の創造である。外的統制を除去しても、自制を生み出す保障にならない。知性によって秩序づけられていない衝動や願望は、偶発的な環境の統制下にある。気まぐれやむら気によって命令された行動をするためにのみ他者の統制を逃れても、得るものよりも失うものの方がはるかに大きい。それは自由の幻想を持っているだけだ。