私たちにとって最も根深い「疑い」の1つに、あるがままの自分が相手やグループに受け入れられないのではないかということがある。つまりいま自分が感じたこと、想ったことをありのままに伝えると、相手に拒絶されてしまうのではないかという「疑い」である。

●特に私たちは、本当に心から言いたいことほど口に出しにくい。それがとても大切なことだから、受け入れてもらえないと深く傷つくからである。こうした時私たちは伝えるのを諦め、言いたいことをぼかし、当たり障りのない言葉にして伝え、拒絶されることを防ぐ。

●これは相手やグループに「受け入れられやすい自分」を演じていると言っていいだろう。そしていまここで自分が本当に感じていること、想っていることから目を背け、大切にしようとしない。特に私たちは職場や地域などで「受け入れられない」と困ったことになるので、こうした傾向は強くなる。

●そしてこのように「受け入れられやすい自分」を演じているうちに、私たちは「いまここ」で自分が本当に感じていることや思っていることに目を向けない、大切にしないクセを身につけてしまう。これは、「あるがままの自分」を大切にしないクセと言っていいだろう。

●ラボラトリー・トレーニングにおいても、当初多くのメンバーは手探りの中で、当たり障りのない「受け入れられやすい自分」を見せることが多い。しかしグループが進むにつれ、1つのかかわりが、「いまここ」で自分や他のメンバーにどのような影響を与えたかがゆっくりと吟味されることがある。

●たとえば話題が決まっていないがゆえに、「時間つぶし」のための話題を出し続けるメンバーがいたとしよう。こうした日常であれば焦点があたらないような言動や出来事について、それを「いまここ」でどう感じているかを、それぞれが自分の中で丁寧に確かめていくのである。

●するとそのメンバーの行動を快く感じていない自分がいることに気づく。例えばそんな話に興味がないと感じていたり、もういい加減にして欲しいという「うんざり」した気持ちがあったりする。こうして目を向けてこなかった「いまここ」の自分の気持ちや想いに気づいていく。

●この時このメンバーは、再び自分がいまここで感じていることを伝えるべきかどうかの葛藤を感じる。一方では伝えることで相手を傷つけ、自分も受け入れられなくなることを恐れる。しかしもう一方では、自分の本当の気持ちを伝えることが、相手も自分も大切にすることのように感じられる。

●そしてラボラトリーの中では、メンバーが思い切って相手にそれを伝える時がある。例えば「時間つぶしのように感じる」と伝えることがそれである。そして伝えられた側もそれを受けとめ、「自分も実はムリをしている感じだった」など、「いまここ」で感じていたことを伝え返していく。

●こうした瞬間は、ラボラトリーの中でも特別の時のように思える。「受け入れられないのでは」という根深い「疑い」を乗り越え、勇気を持ってかかわることで、伝える方も伝えられる方も「いまここ」のあるがままの自分を大切にできるようになっているからだ。

●また伝えられた側には、自分のことを真に想い言いにくいことを言ってくれたという感謝の念が湧いてくる。また伝えた側にも、受け取りにくいことを受け取ってくれた相手への敬意が生まれてくる。こうした切所を乗り越えたグループには、「何でも言い合える」という信頼が生まれてくるのである。

●つまり私たちはもはや相手に受け入れられるために「演じる」必要はない。言葉をぼかしたり、受け入れられやすいように装飾したりする必要もない。「いまここ」で本当に感じ思う「あるがままの自分」が、そのままで相手やグループに受け入れられるという信頼が生まれてくるのである。

●このようにわたしにとってラボラトリーとは、いつもわたしにまとわりつくメンバーやグループに対する「疑い」に気づき、「いまここ」で感じたこと、思ったことを、勇気を振り絞って伝えあうかかわりの中で、「あるがままのわたし」を受け入れあえるという信頼関係を構築するトレーニングの場に思えるのだ。