2020-05-20から1日間の記事一覧

『すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー)2

もちろんこの本はユートピアではない。ハクスリーは世界統制官にこの社会が幸福と安定性を保つ代償として、芸術、科学、宗教、自由などをすべて犠牲にしていることを告白させている。そして私にはこの社会は、私が生きるベースとしている「今ここの実在の流…

「何故」の力、「何故なし」の力3

前に「なぜ」「何のため」という問いが、既存の世界の前提や自分自身を新しくする力を持つと同時に人を断罪する力を持つことを書いた。特にこの問いが「生きること」に向くとそうした傾向が強まる。「生きる」ということに値するだけの「何のため」を持って…

「何故」の力、「何故なし」の力2

この「なぜ」「何のため」という問いは、時に私を断罪し、無意味さを感じさせる力を持つように思う。若い時私は、どうしてもやりたい仕事を見出せなかった。「何のため」に働くかに答えを見出し、着実に歩みを続ける友人を見て自分はダメだなと感じさせられ…

「何故」の力、「何故なし」の力1

「なぜ」「何のために」という問いには、鋭利な刃物のようなところがあるなと感じている。とても大切で役立つ部分と、人の生きる力を削いでしまうようなマイナスの部分が同居しているように思えるからだ。例えば「なぜ」そうなるかを考えさせれば、子どもの…

『十牛図〜自己の現象学』(上田閑照)を読んで5

もう一点、この第八図の解説で私に役立つと思えたのは、「何故なし」ということである。上田は西田哲学の考えを取り入れ、もともと「自己」というあり方が場所的であると指摘する。例えば「父親としての自覚」が生まれるということは、自分をでて、家族とい…

『十牛図〜自己の現象学』(上田閑照)を読んで4

この十牛図という本の中で私が大切だなと感じるのが、第八図「人牛倶忘」を巡る著者上田閑照の考察である。前に触れた第六図「騎牛帰家」のあと、第七図では自己が真の自己と一体になり、牛の姿が人のうちへ消えてしまう「忘牛存人」へと続く。 これは一つの…

新型コロナウィルス危機と私6〜仕事がもたらす偽の安心感

前回新型コロナウィルスの蔓延の中で、私たちは思ったよりも大きなストレスにさらされているのではと書いた。私は今、外出をできるだけ控えているが、先週だけは仕事がたてこみ、ほぼ毎日出勤をした。ところが週の終わりになって、思いもよらず精神的に楽に…

『十牛図〜自己の現象学』(上田閑照)を読んで3

私が十牛図で好きなのは、第六図「騎牛帰家」である。第四図であれほど緊張感を持って引きあった手綱は手放され、牛と人は一体になっている。人は牛に歩みを任せ、道をそれることをいささかも恐れていない。牛を信じ、委ねきっている。そしてその状態を賛美…

『十牛図〜自己の現象学』(上田閑照)を読んで2

私が「今ここ」の性質をよく表現しているなと感じるのは、第四図で牛と人との間の綱がピンと張りつめた緊張感に満ちた場面である。人は決して牛を離すまいと、必死で綱を引っ張っている。人が牛を御そうとしているわけだが、しかし見方を変えると逆に牛に引…

新型コロナウィルス危機と私5〜批判する心

この頃新型コロナウィルスの問題をめぐって、自分がいつもよりも批判的になっているなと感じている。国・行政の対策や識者の意見に対し、批判したい気持ちが起こる時がある。インターネットを見ていても、厳しい批判・非難をしている人が多数おられるのでこ…

新型コロナウィルス危機と私4

外出自粛が続く中、健康を保つため毎日のようにジョギングをしたり、公園を散歩したりしている。もうかれこれ2ヶ月あまりも続けているのだが、特に最近自然の放つ一瞬の美しさに惹きこまれる体験が増えている。風にそよぐ花の白さに、またふと見上げた空の…

新型コロナウィルス危機と私3

この新型コロナウィルスの広がりのなかで、今阪神淡路大震災のことが思い出されている。なぜこのタイミングでと自問してみたのだが、それは恐らくあの震災で起きたことが、このウィルスによって起こっていることと似ている部分があり、今の私(私たち?)に…

新型コロナウィルス危機と私2

(3月23日執筆)この一週間ほどの間に新型コロナウィルスがイタリア以外にも、イラン、スペイン、アメリカ、フランスなどに広まってきている。患者数の急増に伴って医療のキャパシティを超えてしまい、適切な治療を受けられない人も出てきていると報じら…

新型コロナウィルス危機と私

今新型コロナウィルスが世界で猛威を振るっている。ヨーロッパで感染者、死者ともに急増し、外出や移動の制限や国境封鎖、集会の禁止などの措置が取られている。まさに一ヶ月前には世界の誰もが想像できなかったような状況が起きている。 中でもイタリアでは…

新型コロナウィルスの生み出すもの〜国という単位の限界

緊急事態宣言の中、家にいる時間を使ってこの新型コロナウィルスが、私に、私たちに、そして世界に何をもたらすかをみて、感じて、考えようとしている。その影響は思ったよりも多くの分野に及んでいて、これからの私の生き方にも関わっているように思えるか…

社会的接触と身体2

今新型コロナウィルスの蔓延の中で「社会的距離」を取ることが必要とされているが、このことは私たちの身体や人間関係にも影響を与えるように思う。メルロ=ポンティは「知覚の現象学」において知覚や身体について論じたが、その中で彼は「関係は身体から相互…

社会的接触と身体1

緊急事態宣言で家にいることが多いが、気分転換と運動不足解消のために毎日昼食後一時間ほど外に出てジョギングをしている。同じように過ごしている人が多いのだろう、近くの公園は結構な人出である。それで3〜5mの距離を保つために、人を避けて走ることを…

ながれと形3〜「今ここの実在の流れ」

これまで「動的平衡」の考え方と『流れとかたち』から「私」について考えてきた。私は身体という形を持っている。この身体は分子の流れの動的平衡によって生まれる。そして形は「そこに流れるものをより良く流すデザインへと変化する」。だから動的平衡は何…

ながれと形2〜『流れとかたち』

「流れと形」についてもう一つ示唆を与えてくれると思うのが、エイドリアン・ベジャンとJ・ペター・ゼインが『流れとかたち』という本の中で提唱した「コンストラクタル法則」である。それは一言で言うと「すべては、より良く流れるかたちに進化する」と言う…

ながれと形1〜動的平衡

今私は「流れと形」について考えている。このブログでは、私が生きていくベースとしての「今ここ」について繰り返し書いているが、私にはこの「今ここ」が流れとして感じられている。だから「流れと形」を理解することが「今ここ」や「生きる」ということを…

『十牛図〜自己の現象学』(上田閑照)を読んで1

これまで書いてきたように「今ここに起きてくる実在」の流れにこそ、私が生きるベースを求める上での鍵があると感じられている。ところで映画「シンドラーのリスト」でも感じたことだが、私には様々な文学や映画において「今ここ」が描かれている作品がたく…

『すばらしい新世界』

以前から『すばらしい新世界』を読みたいと思っていた。それは『ホモ・デウス』などを書いたユヴァル・ノア・ハラリが、未来社会を考えるヒントになる本として紹介していたからである。そして実際に読んでみて、私はこの本には「今ここ」とは何かについての…

シンドラーのリスト

空き時間を利用して録画してあったスピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』を見た。シンドラーはナチスドイツの虐殺からユダヤ人を救った人として有名だが、映画では戦争を利用して成り上がる野心家として描かれている。これは以前にも見たことがあったが…

物語と「今ここ」

これまで書いてきたように物語は可塑的であり、悪意のある共同体によって悪用される危険を持つ。『ホモデウス』の中でハラリが述べたように、自己も含めた世界は全てフィクション(虚構)の物語であると捉える人もいる。それではこうした物語は全て捨て去る…

服従の心理

前述のように共同体の持つ世界や物語は可塑的である。それは絶対でもないし、過ちを含み、変化していくものでもある。一見こうした世界は物理的な現実に見えるが、それは暴力や罰、配分、規範などによって物語を補完して実体のあるものに見せているだけで、…

身体の知恵

前回、これから私が何のために、何を大切にして、どのように生きていくのかのベース、つまり「私を生きる知」を学び問うためには、私が「私を生きる専門家」として、現実状況に向き合い、それを「省察」すること、つまり体験から学んで行くことが必要である…