ずっとコミュニケーションの5つの要素についてのまとめをしてきましたが、その作業が終了しました。

 しかし、こうした作業をしていると、本当にコミュニケーションの難しさがわかります。コミュニケーションはcommunico=一つにする、共有するという意味から生じてきたらしいのですが、私たちの間には、まさにその共有を阻む断崖絶壁が横たわっているような気がしてきます。価値観の違い、解釈方法の違い、自動的に事実から推論してしまう私たち、共有を阻むものは山ほどあります。

 こうした中で、実生活の場面で私たちがこの共有をあきらめることなく、行う動機はどこからうまれるでしょうか?普通は、私たちはこんな断崖絶壁など越えようとは思わないですね。私たちは、こうした難しさにもかかわらず、コミュニケーションを打ち立てようと思うときがあるような気がします。

 たとえば結婚、これは基本的欲求に動かされ、共有を打ち立てようとする試みでしょう。それでは経営の場面では?それは、本当に達成したいビジョン、目標を共有したときでしょう。この目標達成への欲求が強ければ強いほど、私たちはコミュニケーションを打ち立て、共有を行う動機が強まります。ビジョナリーカンパニーの意味はこうした所にもあるような気がします。

ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則

ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則