教育が経験を基礎にして知的に導かれ処理されるには、経験の理論を形成する必要がある。そして連続性の原理は、教育的に価値ある経験とそうでない経験との間を識別する試みと関わりだ。こうした進歩主義運動は、アメリカ国民が委ねる民主主義の理念に調和しているように見える。一方伝統的教育には、専制的で過酷な状況がある。

経験と教育 (講談社学術文庫)

経験と教育 (講談社学術文庫)

●つまり進歩主義に好意がよせられる究極の理由は、「人間的な方法に対する信頼とその利用によって、およびその方法が民主主義との親密な関係にあることによって、個々人の異なった経験の固有の価値の間に識別がなされる」ことにある。そしてこの識別の基準として「経験の連続性という原理」がある。

●ところで習慣とは、特定の一つの固定した習慣というよりも深いところのもので、そこには態度すなわち感情的な知的な態度の形成が含まれる。それはわれわれの基本的な感受性や様式を含む。この習慣の特徴としてこの習慣が修正されると、それを望もうが望まないかにかかわらず、引き続き起こる後の経験の質に影響を及ぼす。

●つまり経験の連続性とは「以前の経験から何かを受け取り、その後にやってくる経験の質をなんらかの仕方で修正する」という両方の経験すべてを意味する成長(身体的・知的・道徳的)することは、連続の原理の1つの例証(経験の識別の基準)である。例えば「成長」は多くの異なった方向になされうる。高度に熟達した強盗人間になることもある。

●こうして教育としての成長、成長としての教育の観点から<経験の識別の基準の結論>として次のように言えるだろう。つまり特殊な経路での発達が連続する成長に貢献しそれを導くとき、その特殊な発達は成長することとしての教育の基準を満たし、それに応える。こうして連続性の問題は、教育的経験と非教育的な経験を識別する。

●経験とはいずれもみな動きゆく動力であり、経験がどのような方向をとっているのかを知ることが教育者の仕事となる。経験を動いている力として指導するよう考慮しないようでは、教育者は経験の原理それ自体に誠実に対応していないことになる。そのためにはふれあいとコミュニケーション、共感的理解力を生かす必要がある。

●ところで成熟者の未成熟者への経験上の共感的関係は、外部からの押しつけを隠すための一種の口実にならないだろうか?未成熟者を抑制せずそれをどのようにおこなうか。そのためには、まず年少者のなかにどのような態度と習慣的性向が創り出されるか見定めること、そしてどのような態度が連続的な成長にとって実際に助けになるか判断すること、さらに未成熟者個人を個人として共感する能力を持つことが必要となる。