ラボラトリー・トレーニングは「体験からの学び」を重視します。そしてこの体験からの学びの源流にあるのが、ジョン・デューイの思想です。ここでは昔山口先生の研究生をしていた時に課題図書として読んだ「経験と教育」を再度読み直しつつ、まとめをしていこうとおもいます。

経験と教育 (講談社学術文庫)

経験と教育 (講談社学術文庫)

第1章 伝統的教育対進歩主義教育

●人間は極端な対立をもって物事を考えがちだ。教育理論の歴史は、教育は「内部からの発達」いう考えと「外部からの形成」という考え方の対立であり、また「自然的素質を基礎に置く」という考え方と、「自然の性向を克服しその代りに外部からの圧力によって習得された習慣に置き換えられる過程」という考え方の対立であった。

●伝統的教育の考え方は次の3点に特長がある。
1、学校とは、過去に作りだされた知識や技能(=教材)を新しい世代に伝達すること
2、道徳的訓練とは過去に発展した行為の基準や規則に適合するように行為についての習慣を作ること
3、学校組織は、他の社会制度とは全く区別される一種の制度である(教室、時間割、学級分け、試験、規則)

●こうした伝統的教育に対する不満として、次のようなことが指摘される。第1に上からの、外部からの罰として課題(大人の行為基準、教材)を押し付けるが、それは幼い学習者が所有する経験の範囲を越えている。第2に、生徒が教えられるものに積極的に参加することを許さないほど、教えられるものと、学ぶ者との隔たりが大きい。第3に教えられるものは、静的なもの、完成された所産であり、未来は、過去と非常によく似たものとみなされる。

進歩主義的教育などの新しい教育実践の中の暗黙の教育哲学は、上から教え込むことは、「個性の表現と育成とを阻止することにつながる」というものである。そして教科書、教師を通じての学習は「経験を通じての学習」に対立する。このように新しい運動には、伝統的教育の目的や方法を拒絶しようとすると常に危険が伴う。むしろその2つから一段と新しい哲学を根本的に統一することが必要である。

進歩主義的教育のかかえる問題として、教材と経験の組織化の関係が不明確なことがある。つまり外部からの押しつけは、年少者の知的・道徳的発達を促進するというよりは、むしろそれを制限しているというのはOKである。しかし、そうなら「未成熟な子どもたちの教育的な発達を促進するにあたって、教師および書物の役割は何であるのか」

●また外部からの統制を拒否するというなら、経験の内部に統制の要素を見出す必要がある。つまりより有効な権威の源泉を丹念に調べ突き止める必要がある。これは親密な接触(年長者の年少者への)が個人的経験をとおして、学ぶという原理を侵すことなく確立されうるのかという問題だ。伝統的教育の拒絶や全面的対立は、上記のような疑問を無視することになる。

●私たちは、過去の業績と現在の問題との間にある<経験の内部>に実際に存在する関連性を発見する必要がある。つまり過去を知ることが、どのようにして未来を効果的に取り扱う点で、有力な道具に転換されうるか、どうすれば年少者は、過去の知識が現在の生活を理解する上での仲介者になるような仕方で、過去を親しく知るようになれるか?ということである。