わたしは昔、銀行員として７年半働いたことがある。大学生の時どうしても希望の職を見いだすことができず、消去法で選んだ職場であった。その頃は、親元からはなれ自立することが大事に思えたので、とにかく安定的な収入が得られる会社に入ったのである。

●しかし銀行にいるということは、わたしにとって苦しいことであった。単調な仕事に意味を感じにくいこともあったし、上意下達で堅苦しい風土にあわなかったこともある。ただ、わたしが最もしんどかったのは「生きるってこんなものさ」というあきらめが、周りの人から感じられたことである。

●銀行にいると安定収入を得られる。また社会的にも一定の地位を持った人として認められる。だからよい結婚ができ、家族を養い、豊かに暮らすことができる。わたしが苦しみながら７年半も銀行にいたのは、こうしたことがわたしにとってとても大切だからだ。

●一方わたしの中には「ほんとうにこう生きていいのか」という内なる声がいつもあって、安定を望むわたしと葛藤を繰り広げていた。そしてわたしは周りの人に「それは仕方がないこと」というあきらめを感じていた。だからこういった葛藤は誰にも言えず、それがわたしを孤独に追いやったのである。

●いまから思えばこの当時わたしは、どうすればこの窮地から逃れられるのかがわからず絶望を感じていたのだと思う。そして時々自分を傷つけたいという衝動を感じるようになっていた。それで当時はやっていたユングの本を読んだり近くの教会に通ったりして、生きるための模索をはじめたのである。

●そしてこの時たまたま紹介されたのが、自殺防止のための電話相談のボランティアだった。その当時はこの相談員養成のために1年半に渡るラボラトリー・トレーニングが行われていて、そこで訓練の講師をされていた中堀先生や、事務局をしていたわたしの妻と出会った。

●この電話相談の活動をしている時、すすめられて参加したTグループを中心とするラボラトリー・トレーニングは、わたしにとって大きな転機となった。看護師さんや会社の重役、OLなど、さまざまな職種の10人程度のメンバーが御嶽の国民休暇村に集い、５泊６日という時間を共に過ごした。

●２０数年も前のことなので、具体的な内容についての記憶は断片的にしかないが、あるメンバーが自分のこれまでの人生を語り、トレーナーが「ほんとうにそれでいいのか」と叫んだことが記憶に残っている。そしてその語った人が、涙を流していたのを覚えている。

●またグループが進み、表面的な和やかさをかなぐり捨て、否定的なことを含め自分が本当に感じていることを伝えあうことが起きた。そしてその後、互いが受けいれあい信頼しあえる雰囲気の中であたたかな沈黙が生まれ、わたしは「この沈黙は何だろう」と驚きつつ味わったことを覚えている。

●その後も長い間、あのラボラトリーの体験が一体何だったのかを言葉にすることはできなかった。しかし今から思えばわたしの心の奥底で、生きることへの希望や人間に対する深いところでの信頼が生まれていたように思う。言葉にするとおそらくそれは次のようなものだ。

●自分に対し本当に真摯に生きたいと思っているのはわたし一人ではない、わたしも自分の人生をあきらめる必要はないのだ。そして私たちは一番ベースのところで「ほんとうにそれでいいのか」と、互いが自分自身を生きるのを励まし、支え合う関係を築くことができる。

●またわたしの内側から生まれてくる「ほんとうにそう生きていいのか」という声は、わたしの中に葛藤を引き起こすが、同時にわたしがあきらめずに自分の人生を歩んでいくことを促してくれる。それはよりよく自分を生きる上での希望の光であり、わたしは勇気を持ってそれに従えばいいのだ。

●こうしてわたしは徐々に、例えば銀行員であることやそれに伴う安定、お金といった「目に見える」ものだけに頼らなくなっていった。自分自身を生きることを助けてくれるのは、心の中で密やかに生まれてきて「いまここ」でわたしに働きかけてくれる「目に見えないもの」のように感じられたからである。

●その後わたしは妻と結婚し、銀行を辞めていくつかの仕事をしてきた。失業していた時期もあったし、1年契約の不安定な仕事をしていた時期もある。しかしこうした時でも、妻をはじめとした周りの人の何気ない一言や自分の内側からの声や感じがわたしを導いてくれた。

●私たちは窮地に陥ると、自分ではもう何もできないとかどうしようもないと思ってしまい、生きる意味を見失ったように感じることがある。しかしこうして私たちの知識や経験では乗り越えられない絶望に直面した時にも、「いまここ」で何かが生み出されわたしに働きかけてくれている。

●いまでもラボラトリーはわたしにとって、こうした「いまここ」でわたしに働きかけてくれる「目には見えないもの」を信じるためのトレーニングになっている。それはわたしにとって、いつもそばにあってわたし自身を生き抜くことを助けてくれる希望の光なのである。