昨日、全員参加で経営計画をたてるファシリテーション基礎講座の2日目がありました。

 面白いなあと思ったのは、模擬会議の始まりに、私が2つの話し合い方の提案をして、メンバーにどちらかを選んでもらおうとした時のことです。

 私はこちらがいいと意見をいわれるメンバーももちろんおられましたが、一方、話し合いの手順はファシリテーターが決めるものと思っておられる参加者もおられました。選べと言われても困る、プロがきちんと選んで出すべきだというわけです。そして最後は、それぞれが意見を出して話し合い方を合意しました。

 私は、話し合いの進め方を皆で探り、合意をとること(案はファシリテーターが作る場合も)は、「ここは言える場だ」と思ってもらい、話し合いへの参加度を高める観点からはとても重要だと感じています。

 でも確かに、話し合いを誰かが構造化(手順を決めてその通り進める)してくれたほうが、その会議においてメンバーは楽ができます。その一回の会議だけ見れば、話し合い方に時間を取るより、もしかすると、よりうまく進むかもしれません。(もちろん、メンバーによっては、話し合い方を押しつけられると、その時点で「え〜」と思う人もいます)

 なので、世間一般にはファシリテーションを「話し合いの手順を構造化すること」ととらえられる向きもあるようです。しかし、これを繰り返していては、メンバーの主体性、能動性は育たず、知恵と力を合わせる場はできないだろうと思います。

 私たちはファシリテーションというとき、何をファシリテートしたいのかをよく自覚をしておく必要があるなあと改めて思った次第です。