わたしはここ数年沖縄の修道院で行われる4泊5日のラボラトリー・トレーニングにかかわっている。そしてこうした経験を重ねる中で、最近わたしはある祈りを大切だと感じるようになった。それは鳥に説教したことで有名なアッシジの聖フランチェスコの「平和の祈り」である。

●この祈りはとても美しい詩でもあるので、まず渡辺和子の訳で紹介したい。

 主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
 憎しみのあるところに愛をもたらす人にしてください。

   争いのあるところにゆるしを
   分裂のあるところに一致を
   疑いのあるところに信頼を
   あやまりのあるところに真理を
   絶望のあるところに希望を
   悲しみのあるところに喜びを
   闇のあるところに光をもたらす人にしてください。

   慰められることよりも慰めることに
   理解されることよりも理解することに
   愛されることよりも愛することに喜びを見いだす人にしてください。

●この祈り(詩)をわたしはずいぶん昔から知っていたし、また心惹かれるものも感じていた。しかしこの祈りがわたしと直接かかわりがあるようには感じていなかった。むしろカトリックの聖人の宗教的な祈りとして、わたしには遠い存在のように思えていたのである。

●ところがある年、ラボラトリーの全てのプログラムが終わり、いろいろな出来事を思い起こしていた時、突然この「平和の祈り」が閃きとともにわたしに迫ってきた。そしてラボラトリーの中で起きていることが、平和の祈りと密接にかかわっていることに気がついたのである。

●ラボラトリー・トレーニングでは、「いまここ」で起こってくることに気づき、それを大切に他者とかかわることが求められる。ある意味これは「いまここを生きる」トレーニングといえるように思う。そしてわたしには、この「いまここを生きる」ことが「平和の祈り」につながっているように感じられている。

●わたしはこれからラボラトリー・トレーニングを大事にして生きていきたいと思っている。そしてそれはチームを作るとか、何かの機能を果たす人材を育てるとかのためではなく、この平和の祈りにつながるようなものを求めたいと願ってのことだ。

●それでこの小論ではわたしが、ラボラトリー・トレーニングと平和の祈りがどのようにかかわっていると感じているかを言葉にしてみたい。それによってわたし自身のラボラトリー・トレーニングでのかかわりに芯を通せればいいなと思うし、同じことを願う人に少しでも役立てばとも思う。

●またこのように言葉にすることで、わたし自身そして私たちが日常の中で、「いまここ」をより大切にして生きることができるようになればと願っている。そしてこれによって日常の生活が、この「平和の祈り」につながっていくなら、どんなにいいだろうと思っている。