立命館大学の蔦野さんという方が「生きることのかなしみ」という力という論文を書いておられます。
以前から私はラボラトリートレーニングをする中で、トレーナーやファシリテーターが自分の有限性に気づき、何もできないと言う形で自分の力に絶望することが必要なように感じていました。その中でこそ、何か大いなる力に目覚めることにつながり、余計なことをせずそこにいることが可能になり、その力が「いまここ」で働くことにつながると思っていたのです。
蔦野克己さんは、まず「かなしみ」ということを自分の思いが持つ力の及ばなさや思いの無力さの意識ととらえ、人間が生きることそのものがこのかなしみの中にあると説きます。
そして愛娘を失った西田幾太郎の文章を引用します。「我が子の死をただひたすらかなしみ、ひたすらかなしみ抜く中で、私たちはあらゆるいのちを貫流する「不可思議の、絶大の力」の存在を感受することに開かれていく。かかる感受を通して私たちは自己の過信を棄て、その力に委ねられた自己の運命を生きる」そしてこの力を感受することこそが「生きる力」の教育に結びつくと論じています。
私は本当にそうだなあと感じています。この論文が載っている本をご紹介します。
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