『十牛図〜自己の現象学』(上田閑照)を読んで1

  • これまで書いてきたように「今ここに起きてくる実在」の流れにこそ、私が生きるベースを求める上での鍵があると感じられている。ところで映画「シンドラーのリスト」でも感じたことだが、私には様々な文学や映画において「今ここ」が描かれている作品がたくさんあるように思う。

 

  • もちろん「今ここ」は名前をつけられるものではないし、直接さし示すことはできない。しかし例えばシンドラーの生き様を通じてそれが表現されうる。逆にいえば「今ここ」とは何か特別なものではなく、この私たちの日常の世界に満ち溢れているものと言えるのかもしれない。

 

  • 最近『十牛図〜自己の現象学』(上田閑照著)を読んだのだが、この「十牛図」がそうした「今ここ」の性質を上手く示してくれているように思う。「十牛図」とはとても古くからある禅の手引書で、求められている「真の自己」が自己実現の途上において牛の姿で表されているものと言われる。

 

  • つまり自己が真の自己になる自覚的な経験が、野牛(真の自己=心牛と言われる)をつかまえて、飼い慣らしていく十の図に描かれている。この十の図はホームページなどで公開されている。例えば https://biz.trans-suite.jp/27101

(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

 

  • この十牛図はまず見失われた心牛を探し求める「尋牛」の図から始まる。「なくてはならぬ唯一のもの」を見失っていることに気づき、驚いて探し求め始めるが、どこに求むべきか、それは何かまだわからない状態である。自己でありながら自己を見失うという問題がここにはある。

     

    十牛図―自己の現象学 (ちくま学芸文庫)